corotantanのブログ

日々の記録です。

繰り返し

 

 

飼い猫のチャコは10年前に

私が公園から保護して帰った

メス猫だ。

 

同じく保護猫のハッチが

我が家に来てからは

チャコが嫌がって

一階の母の所に移住してしまった。

 

 

 

チャコは狩りが得意で

鳥や鼠などを時々

捕獲してくる。

 

今朝も小鳥を捕獲して

連れて帰ってきたが

既に瀕死の状態だった。

母がどうしようかと相談してきたので

ひとまず猫のキャリーに安置したが

やはり息を引き取ってしまった。

 

 

 

そして先ほど

母のケアマネージャーさんが

訪問されたので私も降りていくと

なにやら母がおかしなことを

言ってきたので

目が点になってしまった。

 

 

母は私に向かって

「どうして猫に鳥を遊びものにさせたん⁉️」

「鳥が死んでしまったがね‼️」

 

 

どうして…って❔

 

いや…別に私が

猫に小鳥を捕らせたのではないし

 

捕まった小鳥をどうしようか?

と相談してきたのは母なのに

何故に私が犯人になっているのか?😵

 

 

 

ケアマネージャーさんも

なだめてくださって

母も落ち着いたが

 

母は私に対して昔から

こういう攻撃的な面を

見せてくる。

 

 

 

 

人は認知症を患って

記憶が曖昧になってきても

こういう"質"は

なくならないものだと

身をもって感じる。

 

 

 

どうこう言っても仕方ないので

私は部屋から出て

距離を取ることにしたが

 

情けなさに涙が出る。

 

何が情けないって?

 

自分に…だ。

 

 

 

こんなことくらいで

また母に対して

怒りが湧いてくる

 

 

そんな自分を

情けなく感じて

そして悔しい。

 

 

 

人生とは常に

何かを感じて

憂いながらも

ひたすら前を向いて

歩かなければならない。

 

寄せては返す

波のようだ。


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死について

 

 

私は愛犬コロンを

躾教室に連れていく。

ドッグダンス教室に連れていく。

集団演技の練習に連れていく。

ディスク(フリスビー)の練習に連れていく。

セラピーのために施設に連れていく。

 

 

 

なぜだろう?

 

 

それは

自分が可愛いからだ。

 

コロンはもちろん可愛いが

結局は自分のためなのだ。

 

 

 

コロンが

愛情表現してくれると嬉しい。

お行儀よくしていると楽。

「お行儀いいね」と言われると

鼻が高い。

ドッグスポーツが出来ると爽快。

 

 

全ての主語は《私》だ。

 

 

ブッタはこの我執を捨てよと諭す。

 

生きとし生けるものは全て死ぬ。

死んでしまってその身が腐敗する。

すると、あんなにも嘆き悲しんでいた

親族でさえも

見向きもしなくなる…

 

だから、自分のものだと執着しても

意味がないのだと。

 

(当時のインドでは、死体はそのまま

捨てられて生き物の餌になったそうだ)

 

 

 

昨日訪れた海の砂浜に

流木などに紛れて

何かしら見覚えのある形をしたものが

転がっていた。

 

 

猫の死体だった。

 

 

モフモフの毛はなくて

グレーになった猫は

四肢を空に伸ばした形で硬直し

はらわたが出ていた。

 

 

私は目を背けてしまった。

でも、不思議と以前のような

心の動揺はなかった。

 

 

 

今でこそ日本人はきちんと

火葬して埋葬されるが

もしかすると未来の日本は

そんな風習が廃れて

自分もそうなるのかも…。

 

 

それはそれで

いいのかもしれない。

それが、自然なのかもしれない。

 

 

私も今までに飼った動物は

どの子に対しても

愛情を注いで

この子がいなくなったら

生きていけないなんて

思ったりもしたが

 

彼らの腐敗していく死体を

そのまま家に置いておく…

そんなことは出来ない。

 

人は身勝手なものなのだ。

だから、結局は

自分が可愛いから

世の中は辛いのだ。

 

 

 

この我執を捨てられるのだとしたら…

 

周りの全ての存在を

ありのままの存在として

より深く

より自由に

愛せるのかもしれない。

 

 


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我執

 

 

「子ほど可愛いものは存在しない」

ということばは

「子は我がものである」という錯覚と

執着によって成り立っている。

 

その本質はひと皮むけば

「自己ほど可愛いものはない」という

ことばとなる。

 

 

 

自分ですら自分の思うようにならないのに

どうして子供や財産が頼りになるであろう。

「わがもの」「われに属するもの」

という考えを捨てよ。

世間のなにものにも

わがものであると固執してはならない。

わがものという我執を捨てよ。

 

つまり執着を離れ

自由な広々とした境地を

体得すること。

 

 

 

 

《ブッタ伝~生涯と思想~》中村元

の一文。

 

 

 

ちょうどこの文章を読んでいたときに

猫のみぃが例のごとく

リビングのドアをガリガリ引っ掻いて

帰宅を知らせてきた。

(うちのドアはボロボロ)

 

 

このタイミングでいつも

「みぃが帰ったよ~(ドアを開けてあげて)」

と(嫌みのように)言ってくる夫は

夜勤のために不在。

 

 

なのに

微かに腹がたった。

 

 

やれやれと

立ち上がって

ドアを開けながら…

 

 

冒頭の言葉が

頭に浮かび

腹が立った意味が

分かった気がした。

 

 

あの言葉に従って考えると

 

 

私の好きなこと(読書)を取りあげられ

その好きなことをするための

私の時間を取られ

私の体を動かされたからだ。

 

つまり

私の飼い猫のみぃが

私の家に入ってくるために

私は私の趣味や時間や肉体

使わなければならなかったからだ。

 

 

全部、私の◯◯なのだ。

 

 

我執を捨てよ

 

時間も趣味も猫も家も肉体すらも

あらゆるものが

私のものではないと思ったら

 

さて…

今度、みぃがドアをガリガリ引っ掻いたら

私はどう感じるのだろうか?

 

 


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手放す

 

 

コロンの参加している

集団演技のチーム…

スピードパンダーズ。🐼

 

 

参加人数は

マネージャーを含めて10人。

 

 

その中におそらく私と同業者で

同年代の女性がいる。

 

最初は少し変わった人だな。

なにかしら私に敵意を

持っている気がする…😒

 

と思っていたけれど

 

よく観察してみると

とてもよく気が付いて

周りの人たちを

よく見ている人だ。

 

やはり

変わってはいるけれど

誰に対しても

どこにいても

同じように

変わっているから

最近では

ある種の尊敬の念を

抱くようになった。

 

 

 

 

その女性が毎回

練習の時に

差し入れをしてくれるので

私も何かしら持っていった方が

いいかな~と考えたけれど

 

やめた。

 

 

対抗的なことはするまい

と思ったからだ。

 

 

 

昔は自分が一番でないと

いやだった。

 

誰よりも気の利く人間だと

内心、驕っていたのだ。

 

だから、今でも

彼女が差し入れを配ってくれると

変に恐縮して見せたり

積極的に貰いにいかなかったりする。

 

最後の悪あがきだな…😒

 

 

 

 

もう、手放していいだろう⁉️

私のずっと握りしめていた

気の利く出来る人

という幻覚を。

 

 


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基本に立ち返る

 

 

犬の運動会があと2ヶ月後に迫り

メンバーの士気も上がってきた。

 

 

私もとりあえず

全部の振り付けは覚えたので

さぁ!これからは

コロンと動きを合わせるぞ!

と思っていたのに…

 

昨日の練習では

コロンの集中力がなくて

半分も思い通りにいかなかった。

 

 

 

河川敷の公園で練習するので

周りにはたくさんの人や

わんこさんがいるから

そっちに気をとられて

私の号令が入らない〰️😣

 

 

 

 

こんなにもコロンの気持ちに配慮して

いろいろな訓練を試してるのに

どうして上手くいかないんだろう😣

ってイライラして

無理やりコロンの姿勢を変えようとしたり…

 

 

そんな自分が

また嫌になったりして

 

反省の1日だった。😞

 

 

 

 

躾教室では合計すると一年半くらい

同じクラスにいるので

訓練内容に飽きてきて

どうして新しい内容を

教えてくれないんだろう…

 

こんなの通っていて

意味あるのかな?

 

と思って一年休んでいたけれど

 

いやいや…

やはりあの基本の訓練が

いっちばん大事なのだと

改めて気が付いた。

 

 

 

基本の訓練とは

犬が飼い主をしっかりと

見ること。

 

 

これが出来ると

付いて歩くのも

離れたところからの

呼び戻しも

きちんとできるようになり

 

ドッグダンスだろうが

ディスクだろうが

アジリティーだろうが

 

どんなスポーツも可能になる。

 

 

 

 

何事も基本をすっ飛ばしてはいけない。

 

私は

基本をすっ飛ばしても

成功するほどの

自分は優れた人間だと

思っていたのだろう。

 

 

あぁ~なんと浅はかな…。😒

 

 

そして

教えてもらったことは

どんな犬にも当てはまる訳でもないから

 

これからは

コロンと二人三脚で

頑張っていきたい。

 

 

route194、木の根三里橋を渡った先の大好きな遊歩道
https://www.instagram.com/p/B8W_Bj7H_Fy/?igshid=9a9ill945gti

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

箱庭

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スマホをいじっていたら

昔の箱庭の写真が出てきた。

(写真の向きを変えたいけれど直せない…)

 

 

 

多種多様の生き物たちが集っていて

その中の羊の子供が

とても幸せそうに見える。

 

 

今の私は

本当に幸せだ。

 

 

 

 

 

 

ふん…(-。-)y-~

 

 

先日、夫が遅い夕食をとった後

食器等をそのままにして

寝ようとするので

台所まで持っていってと

声をかけると

 

それを拒否して

ベッドに入ってしまった。

 

 

一度拒否すると

てこでも動かない人。

 

 

 

犬のコロンが食べるといけないので

怒りながら

私がそれを片付けたが

 

 

こういう時

どうしてあいつはあんなにも

頑なに拒否するのだろう?

と考えを巡らせた。

 

 

 

 

その前日に私はセッションで

魂レベルの男性女性の統合を

果たしていたので

 

その答えは案外簡単に

導き出すことができた。

 

 

 

夫が夕食をとったとき

私は食欲が湧かなかったので

既にベッドに入って休んでいた。

 

原因はこれだ。

 

 

夫はおそらく

淋しかったのだろう。

一人で夕食をとることが。

 

 

一緒に食べない…

食べなくても

一緒に居てくれない私へ

食器の片付けを拒否することで

密かな仕返しをしたのだ。

 

 

 

断固として拒否する姿は

表向き

強さを表現しているようでも

 

ようは甘えん坊なのだ。

 

 

 

 

このからくりが分かると

結構、どんなことでも

 

ふん!甘えん坊め(-。-)y-~

 

 

と許すことができるだろう。

 

そして、夫も

そんな形で淋しさを

表現しなくてもよくなるだろう。

 

 

 

お互いが

ぶつかりあって

磨きあって

高めあっていく…

 

 

この軌道に乗ることが出来ると

お互いの魂の歩みは

ぐんぐん加速しそうだ。

 

 


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人生の描きかた

 

コロンのセラピーの様子を

デイサービスのスタッフさんが

インスタグラムにあげてくださいました。

 

https://www.instagram.com/p/B8OgDOYB6Gy/?igshid=ebfyi2r01zf8

 

 

次の予定も決まりました。

 

 

スタッフさん

「落ち込んでいる方のあんな笑顔

久しぶりに見ました!」

 

 

 

 

 

 

ずっと人を癒す仕事をしたいと

願ってきたけれど

 

まさか犬とセラピー活動を

するようになるとは

思いもしませんでした。

 

 

 

人生とはどんな風にも

描けるものかもしれませんね。

 


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コロンとのパートナーシップ

 

 

午後からはしばらくお休みしていた

ディスクドッグ(犬とのフリスビー)

のクラブにも参加して来ました。

 

 

 

以前は鳥を見つけると

私の呼び声なんか無視して

走って行ってしまいましたが

 

最近は"動くものを追いかける"

というボーダーコリーの本能を

抑える訓練をしているので

かなり呼び戻しができるようになりました。

 

 

 

クラブの先輩たちも

「少し休んだ間に落ち着いたね❗」

と褒めてくれました。

 

 

 

普段から

ボーダーコリーの飼い主さんたちと

いろいろ悩みを分かち合うのですが

どの子もなにかしら問題を抱えています。

 

でも、それは人間にとっての問題なので

犬は自然体なのですが

 

それを丸々受け入れて

より良いパートナーになれるように

少しずつ訓練を重ねていこうと

改めて決意したところです。

 


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コロンとの活動

 

 

今日は母が通っているデイサービスへ

コロンを連れて訪問してきました。

 

 

お伺いすると

たくさんの通所者さんたちが

寒いにも関わらず

外に出てこられて

 

満面の笑みでコロンを

もみくちゃになるくらいに

撫でてくださいました。

 

最初はその可愛がりようが

凄いので

コロンが大丈夫かな…

と心配になりましたが

 

途中からフリーにすると

楽しそうにみんなの中を走り回って

いろんな方にお尻フリフリ

愛想を振り撒いていました。

 

 

 

インスタグラムに載せて下さるそうなので

とても楽しみ。😊

 


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焦り

 

 

今朝、また夢を見ました。

 

 

車を駐車場に停めたつもりが

なぜか勝手に車がバックしていて

危うく崖から落ちるところで

見知らぬ人たちに教えられ

難を逃れました。

 

 

けれど、ブレーキを踏んでいないと

またまた勝手に車が動くので

他の人にそれを頼んで

私はスマホからディーラーに電話を

しようとするのですが

今度はスマホが故障していて

電話帳が開きません。

 

 

記憶を辿っていろんな番号を

ダイヤルしてみるけれど

どれも間違いで

気が変になりそうでしたが

 

気がついてみると

ディーラーさんが到着しており

車もすでに治っていました。

 

 

 

そこで夢は終わりましたが

冷静になってみると

車が勝手に動くのであれば

エンジンを切ってしまえば

良かったのです。

 

 

夢が伝えてくれたのは

"焦るな"

"俯瞰して見ろ"

というメッセージでした。

 

 

実生活で今は

とても活力が溢れています。

 

あれもこれもと

したいことがあり

次々と挑戦していますが

 

それに付き合わされている

存在があることを

忘れがちになっています。

 

 

また、自分の魂の目的を

どのように現世で実現すればいいのか

掴みきれなくて

焦っていることも…。

 

 

 

長い目で見て

自分も大切な存在も潰れないように

ゆっくり歩んでいこうと

思います。

 

 

 


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思い出せないもの

 

 

https://corotantan.hatenablog.com/entry/2019/09/13/162651

 

 

自分の過去の記事を

読み返していて

目に留まった。

 

 

このときの私は

一体

何にぶつかり

乗り越えようと

していたんだろう。

 

 

 

もう、思い出せない…

 

 

 

たぶん、乗り越えたんだな。

あるいは…

 

 

壁はなかったのかも。(^-^)ゝ゛

 

 


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老いていくこと

 

 

先日、セラピストさんから

最近の若者たちの様子を

聞かせていただいた。

 

 

 

 

私の学生時代とはずいぶんと

変わったなぁ。

 

周りに若者がいないから

最近の若者は一体どこに

向かっているのだろう…

と自分の憶測の中で

嘆いていたけれど

 

 

お話を聞くと

男女の性別を超越した未来が

見えてきた。

 

確かに

愛犬コロンと入会している

躾教室の若い男性

インストラクターさんや

若い女性の飼い主さんたちも

性別、年齢を感じさせず

おばちゃんと気軽に

接してくれるもの。

 

 

 

そんな若者たちに

未来を託して

自分は老いていく…

 

 

素晴らしい時代が

来たものだ。

 


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対話

 

 

昨日、セラピストさんと

愛犬コロンについて

話しました。

 

 

私は考えました。

 

私は、コロンを

自分の所有物として

扱っていたのではないだろうか?

 

彼をひとつの生命として

きちんと尊重していただろうか?

 

彼の気持ちを

考えていただろうか?

 

 

 

 

これからはきちんと

彼と対話して

行動しよう…

 

 

そう感じたときでした。

 


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