corotantanのブログ

日々の記録です。

死について

 

 

私は愛犬コロンを

躾教室に連れていく。

ドッグダンス教室に連れていく。

集団演技の練習に連れていく。

ディスク(フリスビー)の練習に連れていく。

セラピーのために施設に連れていく。

 

 

 

なぜだろう?

 

 

それは

自分が可愛いからだ。

 

コロンはもちろん可愛いが

結局は自分のためなのだ。

 

 

 

コロンが

愛情表現してくれると嬉しい。

お行儀よくしていると楽。

「お行儀いいね」と言われると

鼻が高い。

ドッグスポーツが出来ると爽快。

 

 

全ての主語は《私》だ。

 

 

ブッタはこの我執を捨てよと諭す。

 

生きとし生けるものは全て死ぬ。

死んでしまってその身が腐敗する。

すると、あんなにも嘆き悲しんでいた

親族でさえも

見向きもしなくなる…

 

だから、自分のものだと執着しても

意味がないのだと。

 

(当時のインドでは、死体はそのまま

捨てられて生き物の餌になったそうだ)

 

 

 

昨日訪れた海の砂浜に

流木などに紛れて

何かしら見覚えのある形をしたものが

転がっていた。

 

 

猫の死体だった。

 

 

モフモフの毛はなくて

グレーになった猫は

四肢を空に伸ばした形で硬直し

はらわたが出ていた。

 

 

私は目を背けてしまった。

でも、不思議と以前のような

心の動揺はなかった。

 

 

 

今でこそ日本人はきちんと

火葬して埋葬されるが

もしかすると未来の日本は

そんな風習が廃れて

自分もそうなるのかも…。

 

 

それはそれで

いいのかもしれない。

それが、自然なのかもしれない。

 

 

私も今までに飼った動物は

どの子に対しても

愛情を注いで

この子がいなくなったら

生きていけないなんて

思ったりもしたが

 

彼らの腐敗していく死体を

そのまま家に置いておく…

そんなことは出来ない。

 

人は身勝手なものなのだ。

だから、結局は

自分が可愛いから

世の中は辛いのだ。

 

 

 

この我執を捨てられるのだとしたら…

 

周りの全ての存在を

ありのままの存在として

より深く

より自由に

愛せるのかもしれない。

 

 


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