corotantanのブログ

日々の記録です。

物体の意味

 

 

前々回の記事にこんなことを書いた。

 

『人は身勝手なものなのだ。

だから、結局は

自分が可愛いから

世の中は辛いのだ。』

 

https://corotantan.hatenablog.com/entry/2020/02/16/064710

 

 

 

 

他者から責められたとき

自分が可愛いから

辛い。

 

 

この場合の"我執を捨てる"とは

どういうことだろう?

 

 

責められたのが"可愛い自分"

だという思いを

捨てればいいのだろうか。

 

 

ブッタは

この自分ですら

偶然の集まりでできたもので

形あるものではない。

 

と説く。

 

 

さっき母が責めたのは

目の前にいて

責任転嫁しやすい

娘と名の付く物体の

"私"だった。

 

 

母から見ると

怒りに値する"娘"という名の付く物体

に見えたのだろう。

 

 

私から見ると

責められる謂れはない

可愛い"私"と名の付く物体だ。

 

 

同じ物体であっても

見る者によっては

真逆の意味を持っている。

 

不思議な現象だな。

 

 

見る角度によって

黄色から朱色

そして赤へと

色を違える太陽のように

私という物体も

違う意味を帯びている。

 

 

だから俯瞰して見ると

他者に責められた~

辛い~

と思い詰めても

意味はないのだろう。

 


f:id:corotantan:20200217105842j:image