十牛図に学ぶ
『十牛図』
http://www.tees.ne.jp/~houjuzan/jugyuzu.html
十牛図は悟りの境地に至るまでと
その先の在り方を
とても分かりやすく説明してくれています。
十牛図を参考にするならば
私は今、第8図に差し掛かったかな……
という感じです。
最近の私の課題は
『存在感のない自分を目指す』
なぜ自分の存在を消したいのか……
十牛図を読んでみて
その理由がうっすらとですが
分かった気がしました。
第8図.人牛倶忘(自分のことも忘れる)
『旅人は、自分のやるべきことは何か、幸せとは何かを探していました。「さとり」とは、その答えが自分のなかにすでにあったと気づくことです。しかし「十牛図」は、その「さとり」でさえ忘れなさいと説いています。ひとたび目標や幸せに気づくことができたなら、もはやあれこれ考える必要はないからです。』
第9図.返本還源(すべて元通りとなる)
『牛を求めて旅をしてきたが、結局もとにもどり、はじまりにかえって、牛も見えず、自分もない。
これでは、何も見ず、何も聞かずにきたようなものだ。
旅に出るずっと前から、湖は広々としていたし、花も赤く咲いていたのだ。』
『悩みや迷いだけでなく、幸せや目標のことも忘れればいいのです。苦労したあげく手に入れたものは、そう簡単に失うものではありません。
風が吹けば花びらは散ります。でも、だからといって木が枯れるわけではありません。花にこだわるより、根をしっかり張ることのほうが大切なのです。』
第10図.入鄽垂手(町に出て生活する)
『目標を見つけ、見失っていた自分を取りもどした旅人は、町に行って人々と交わります。身なりにこだわらず、威厳(いげん)もありません。仏教で禁じられているお酒も飲むし、魚も食べます。そうして、出会った人の考えや行いに影響を与えていきます。そして、それは同時に自分自身の成長にもつながっていくのです。』
『自分がさとりを得たことを表にあらわさないで、昔の立派な人のまねをしないで歩いていく。でも、自然と同じ道を歩いているのだ。
そうして、空っぽのひょうたんをぶら下げて町に行き、疲れたら杖(つえ)をついて家に帰る。
仏さまの教えにもしばられず、酒屋にも魚屋にも行って、会う人みんなの心を安らかにしていくのである。』
自分が何を学び
何をしてきたか。
今となってはそんなこと
どうでもいい。
私のことを
みんなが忘れていても構わない。
ふとしたときに
『あれっ、そこにいたの?』
『そういえば、最近とても過ごしやすくなってきたね』
という風に
そばにいる人が
明るい笑顔を見せてくれれば
それだけで
幸せな……気がする。